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カテゴリ : 神道系

・創始者 波瀬善雄
・現継承者 波瀬敬詞
・崇拝対象 大宇宙の分神・御守護神様
・信者数 89万5,347人(1995年現在) 
・本部所在地 千葉県野田市
・教典 御書、御由来、御誓訓など
・機関紙 霊波(毎月15日発行)
・機関誌 月刊RHK

教団の沿革

 1915年7月2日、創始者・波瀬善雄(本名:長谷義雄、信者には御守護神様と呼ばれる)は、葛飾金町にて、農家の8人兄弟の長男として生まれる。1936年、波瀬は陸軍に入隊。しかし中国に滞在中痔瘻、結核、肋膜炎、腹膜炎などに罹り広島へ向かう。しかし療養所を退所して、周りの反対を押し切り、1939年6月8日、東京発門司行きの電車に乗り霊峰山(五剣山)へ向かい、宇宙神の啓示を受ける。すると、病気が治ったという。
同年8月、山を下り家へ帰る。その後全国の山々へ向かい、10数年間の間修行を積む。そして1954年3月7日、神は波瀬が神の分神であることを明かし、以前軍隊にいたときの発病は、神の力を送り込まれ、霊魂と肉体のバランスが崩れたためであったと説く。
 波瀬は、九州大隅で座禅を組んでいる途中に、「妻をめとれ。すでにこの世の者にあらず。汝の苦行を助けんがためであり、汝が宮城(みやしろ)の喜びに接するとき、女性はこの世を去るべし」と神に告げられ、その女性を妻に迎えた。その妻(御内室様)は1958年、4人の子供を残し亡くなる。
 1956年、宮本よしを代表に、霊波之光讃仰会を発足。1957年宗教法人登記。1960年、役員の教育のため滝行を行ったときに、波瀬に稲妻のような光が発したという。1984年3月19日、波瀬、永遠不滅の霊波・御光になった(亡くなったことを意味する)。現在は波瀬の養子の波瀬敬詞(本名:長谷敬詞、信者には二代様と呼ばれる)が継承している。ちなみに、波瀬の趣味は盆栽だったせいか、現在同教団では盆栽の写真集を発行している。

教団の教義・特色

 物を見通したりするなどの「神通力」は、サタン霊と言う低級な霊が取り付いているからであり、そのような霊が取り付くと、末代まで幸せに離れない説く。「シンコウ」には、3つの種類があり、「心仰=自分の心を信じること」、「真仰=宇宙の真理を信じること」、「信仰=心仰と真仰の2つが備わった本当の信仰」があるという。霊波之光教会に入ると永遠の幸せを手に入れることが出来、このような喜びは他では手に入れることが出来ないと教え、
信者は「御守護神様、二代様、我ら人類救済の道へ歩ませ給え」の祈りにより世界平和を築き上げなければならないという。
 同教団が説く死後の世界は、時間・空間がなく、物質を必要としない世界であり、霊界は苦はなく、働いたり食べる必要もない。霊界へは何も持ち込めないので、その人が犯した罪もこの世へ置いていくこととなり、その罪は因縁となり子孫へ還ってくるという。
 現在の数多くの宗教は、方便を使い神を冒涜しており、真の神が降りた現在はそのようなことは絶対に許されなくなり、神が定めた法則を犯したことになると説く。

 なお、略称は「RHK」。現在、OL風の女性が、泣いてる女の子に自分が持っている花束の中から一輪の花をあげ、「暖かい心は、挨拶から。笑顔と思いやりに、喜びと、幸せ。霊波之光」というナレーションとともに、天使閣の画像が出てくるというコマーシャルが放送されている。

教団の行事

・1月1日午前0時 御水取之御儀
・1月1~3日 初詣
・1月第2月曜日 成人之儀、成人の祈り
・3月7日 御聖神祭
・3月19日 奉 霊波感謝祭
・6月8日 御聖旅祭
・7月2日 御聖誕祭
・7月28日 二代様御誕生祭
・11月2日 新米奉上式
・11月15日 七五三之儀
・12月31日 越年前夜祭
この中でも、御聖神祭、御聖旅祭、御聖誕祭は三大佳節と呼ばれる。その他、毎月2日は礼祭日とされている。

関連リンク

公式ウェブサイト
新宗教探訪

・信者数 500人
・本部所在地 東京都渋谷区
・崇拝対象 主神天照大御神

教団の沿革
 創始者の松林秀豪は、1948年7月に、父作太郎、母敬子の長男として、大阪市東住吉区に生まれた。厳格な父に育てられた松林は、かなりのスパルタ教育を受けてきた。時には父の拳骨を恐れるがあまりに、近所に住む一番上の姉のもとへと逃げこんだ。中学2年のときに松林家は一家で上京した。その後拓殖大学第一高等学校へ進学するが、程なくして中退する。

 大阪に戻った松林は、自動車整備工場などで働いていたが、21才のときに再び上京する。その後、30歳になるまで警備会社に勤務するが、この間、松林にさまざまな霊体験が起こる。例を挙げると、一人で食事をしていると、隣に誰かが座っている様な気配がする、夜寝てると突然金縛りに遭い苦しくなるなどの異常事態が続き、会社に辞表を出した。周囲の人々は彼を異常者かノイローゼと見ていたようだが、近所に住む病気の人にに手を当てただけで病を治したり、不幸続きの人に浄霊で原因を取り除くなどと言う霊能力を発揮したため、松林に対する評価は変わってきた。彼は仙道術気功(離れていながら、相談者の体を自由にコントロールできたり、触らないで相手を倒したりする中国に古くから伝わる施術法)を自然に身につけた。この様な、松林が持つ力に最初に気づいたのは、母親の敬子で、敬子は近所の悩める人々を松林の所へ連れて来るようになった。

 1984年に西武線ひばりが丘駅の近くに、「心霊相談所」を開設する。日を追う毎に松林の特殊能力は磨きがかかって次第に人の知る所となり、全国から相談者が相次ぐ。尚、松林には5人の姉がいるが、5人とも歌手や女優など芸能の道へと進んでいる。以前は「ディメンション千手会」と名乗って活動していた。

・創始者 白川資長
・現継承者 高柳初枝
・本部所在地 大分県大分市
・信者数 11,282人
・崇拝対象 天照大神

教団の沿革
花山天皇の末裔の白川家は、明治になって古神道が隆昌すると、白川家当主、白川資長を会長とし、「復古派神道斉修会」を生じさせる。その後1940年に「宗教結社皇教」を設立する。1946年に「宗教法人皇教本院」と名称を変更する。1954年「皇教本院派」とし宗教法人登記。このときの代表は白川資長ではなく高柳明初代管長だった。

教団の教義
中心とする神を天照大神とし、万民協和文化光明、地上天国、神の国建設を目当として、探求実践するという。

教団の組織
教会が1つある。

・創始者 元木勝一
・現継承者 中島教絵教主
・崇拝対象 宇宙一元之大神
・信者数 1,077人
・経典 一元之宮教典
・本部所在地 大阪府大阪市

教団の沿革
創始者の元木勝一(本名:元木勇)は、1906年3月、北海道空知郡の製材業、元木多吉・コマの二男として生まれる。高等科を卒業した後、大阪に出て、鉄工所や造船所等職業を転々としている時、1928年ごろに肺結核で倒れる。医者からあと数ヶ月の命と言われた時に、神の声を聞いて、病気が全快したという。その後深谷霊谷にて霊感を得て修養する。元木は、「神は世に出て霊身一体宇宙一元の大元理を釈いて世界を救うときが来た。救いの道一筋に精神して呉れぬか」との霊示を受ける。1950年10月28日「大日大立元理教団」を立教。1952年10月、宗教法人登記。1964年一元之宮の教団名変更。
同教団により、「1972年6月18日午前8時に大地震起きるので、一刻も早く避難せよ」と云うチラシが名古屋や大阪で配られる。信者たちは自分の土地や家を売って山間部へと逃げる。その当日(1972年6月18日午前8時)にマスコミは一元之宮に集まったが、結局地震は起きなかった。予言が外れた元木は教団施設内で白衣姿で切腹自殺。発見が早かったため助かった。1981年元木亡くなる。

教団の特色
信者は、大阪府八尾市高安山山中にて共同生活を送っている。教義は、浄霊を受け魂を磨いて、天霊の霊教を身に付けて実行し、天地一切の元理を基にして行徳を積み霊感を得て聖霊へと通じ、世界恒久平和に貢献するという。

・創始者 五井昌久
・現継承者 西園寺昌美
・信者数 約50万人
・機関誌 白光
・本部所在地 静岡県富士宮市

教団の沿革
 創始者・五井昌久は、1916年11月22日東京の士族、五井満二郎、きくの四男として生まれる。幼少時、五井は病身だったが、非常に陽気な性格で、よく剽軽な踊りを踊っていたという。1923年、関東大震災を受け、バラックに住むようになる。その後義伯父に連れられ、新潟で暮らすようになる。高等小学校1年を終えると、織物問屋の店員になり、その後五井商店と言う店を開業した。
1940年、三兄の紹介により、日立製作所亀有工場に入社。労務課で文化運動の仕事をするようになり、高村光太郎や竹内てるよなどから教えを受けた。五井は一時腎臓を患っていたことがあり、事務員の女性から世界救世教の著書を借り、その事務員の女性の母親から、世界救世教の療法を受け、同教の理論に共感した。
1945年、終戦を迎え、人一倍愛国心が強かった五井は、玉音放送の後、工場長と相擁して泣き続けたと言う。その後日立を辞め、西洋古典音楽の音楽家を目指そうとするが、周りは五井の嫌っているジャズ楽団ばかりで、断念する。その後世界救世教の診療所を訪れ、岡田茂吉著の書籍を読むが、その内容には共感出来なかったものの、診療所の人の人柄に親しみを感じ、時折その人を訪ねたりした。また、それと同じ頃に、友人から借りたフェンイック・ホルムス著、谷口雅春訳の「百事如意」と言う本を借り、その本の内容に深い感銘を受けた。
 ある日五井は、岡田茂吉の家を訪問し、当時世界救世教の病気治しを行っていた五井は、岡田の話に大きく共感した。それから時は流れ、五井は生長の家本部を訪れ、谷口雅春の講話を聞き、その後五井の先輩を会長。五井を副会長とし、葛飾信徒会を設立した。
 しかし、五井は職についてなかったため、いくつかの出版社の採用試験を受け、その後某出版部員として、旬報の編集の仕事にあたった。
 1948年、知人の紹介にて、某心霊現象の会の会員になる。ある夜、五井は生長の家信徒会に行き、自動書記を行い、同席していた共産党の人を驚かせてしまう。
 1949年のある朝、釈迦から金色の珠と榊のような葉を5枚貰い、イエス・キリストが五井の体に入り、「汝は今日より自由自在なり、天命を完うすべし」と言う声を聞き、霊覚者になった。1951年、五井先生鑽仰会を発足。1956年、白光真宏会に改称。1968年、五井は宇宙人との調和を訴え、「宇宙子波動生命物理学研究所」を設立した。
 1971年、琉球王国の王家・尚氏の末裔、尚悦子が五井の養女となり、五井昌美と改名。その後1974年10月18日、五井昌美は西園寺公望の曾孫、西園寺裕夫と結婚。西園寺昌美となる。1980年、五井は亡くなり、養女の西園寺昌美が跡を継いだ。

教団の教義・特色
 世界平和の祈り、印、マンダラなどの同会独自の行を行う事によって救われると説く。
 個人の邸宅や店、寺院でよく見かける「世界人類が平和でありますように」と言うステッカーやポールは、同会の関連団体、五井平和財団(会長:西園寺昌美、理事長:西園寺裕夫)のものであり、このポールは、日本をはじめ、海外でも様々な場所で見ることが出来る。余談であるが、このパロディーとして、テレビアニメ「俗・さよなら絶望先生」のヒロイン、関内・マリア・太郎が、七夕の笹に、「世界全人類が幸せでありますように」と書いてある短冊を吊るすと言うシーンがある。
他に、世界平和の祈りを唱えている団体に、森島恒吉代表の唯一会、尾崎元海代表のコスモス会、岩根和郎代表の自明会などがある。

関連リンク
公式ウェブサイト
白光真宏会出版本部
五井先生資料館
五井先生に学ぶ
サロン百万遍
全託道場

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