・創始者 大西愛治郎
・現継承者 大西泰彦
・崇拝対象 万物創造の親神様(月日御両神)、南無甘露台
・信者数 31万8682人
・本部所在地 大阪府高石市
・教典 泥海古記、御筆先、みかぐら歌、御指図、教義一斑
・機関紙 「ふしん」(月刊)、「ちなみ」(季刊)

教団の沿革

 創始者・大西愛治郎は、1881年8月、奈良県宇陀郡の農業、岸岡吉治郎、キサの3男として生まれる。小学校高等科卒業後、1899年に奈良県師範学校に入学する。同年、兄の勧めによって天理教に入信。奈良支教会所に所属した。1901年に上京、翌年から単独で群馬県安中市に入り、天理教の布教を行った。1904年、大西トヨと結婚する。1907年、山口宣教所長に任命される。
 1913年8月16日、自らが、「甘露台人の理」を保有しているという事実を悟り、この日を、ほんみちの発祥としている。その後、大西が「(天理教の)後継者は自分である」と宣言し、天理教の講師の資格を剥奪され、同教から追放される。1925年1月、天理教から独立し、「天理研究会」を発足した。
 1928年、大西は、「天皇には人徳がなく、日本統治の資格なし」と言う内容の研究資料を執筆し、警察や県庁、内閣各省など全国に配布し、不敬罪に問われた。しかし大西は精神に以上をきたしているとされて不問。その後の1938年、天皇制否定、戦争否定の考えを持っているとして、不敬罪と治安維持法に再び問われ、大西や教団幹部等が逮捕される。1939年、教団に禁止解散命令が出された。
 1942年、第1審では、大西は無期懲役、他教団幹部らは懲役15年、同13年の重刑の判決を受けた。1943年には教団の財産が整理されて、所有していた山林などは二束三文で取り上げられた。戦後1945年10月、大西ら幹部3人が釈放され、1946年には全員免訴された。その後「天理本道」を再興。1950年に「ほんみち」と改称した。1952年8月、宗教法人認証。
 1962年、大西の次女である大西玉が、天理教教祖中山みきの再生だとしてほんみちから分派してほんぶしんを立教。

 ほんみちは、1977年、大阪に1500畳敷きの神拝殿を建設。これまでは、従来の信者によるにおいがけ(勧誘)を受けたもののみ開扉してたが、時代の要請と啓示によって、1979年5月には、「この世の真理、教えを聞きたい人」には誰でもと言う完全開扉の盛大な記念式典を行った。1987年10月に、本部に3500畳敷きの神拝殿を建設した。

教団の教義

世界に危機が訪れることを前提とし、天啓者甘露台様を中心とした理想人間界を建設すると言う。天の親神様に感謝し、同時に天啓者甘露台様を目標に、人類救済に役立つ人を目指す。

教団の行事

1月2日のほんみち年始祭、5月5日の開扉記念式、5月26日の春季大祭、8月15日の発祥記念祭、10月26日の秋季大祭、毎月26日の月並祭がある。

教団の組織

伝道所が8ある。教師が14209人、そのうち女性が8253人である。