※キクの字は
(てへんに菊)と表記。
・創始者 林紫光
・現継承者 林瑞光
・本部所在地 大阪府交野市
・信者数 約3000人
教団の沿革
創始者・林紫光(幼名:喜次郎)は、1901年7月、大阪府交野市(当時の大阪府北河内郡交野村)の仏師、林喜八郎の長男として生まれる。林が4歳の時、林は眼が見えなくなり、両親は眼病平癒で有名な京都府長岡京市の柳谷観音に籠って祈願するようになる。そんなある日、僧が陀羅尼を唱えて、数珠をくっていた時、林は元通り眼が見えるようになったという。
林は、内心は進学したかったものの、小学校高等科を1年で中退し、厭々ながら家業を手伝うようになる。しかし、好学の徒であった林は、学者であった桜井茹村から漢詩や和歌を学び、京都に出て茶道や華道を身に付けるようになった。
家業の手伝いで、集金をしていた林は、得意先から端数をまけてくれるよう頼まれ、断れず、父親は林が代金を誤魔化したと思う。このように、金を扱う事が嫌となった林は、10代の終わりから20代の終わりにかけて、宗教の門口に立つこととなった。
林が28歳の頃、ある明け方に、林は金色の球を捧げ持っていた者から、「これにしなさい、これが真実だ」と語りかけられるという体験をし、何日かにわたって同じ体験をした。怖くなった林は、奉書を壁に張って祈った。その時、白紙の中央から、金色の丸い球が現れ、その周りに紫色の球が浮かび上がり、それは九曜星の形をしており、毎日祈っていると紫色の象形文字が現れたのでそれを模写した。その文字は全部で20文字。しかしその意味は分からず、その意味を知ろうと漢学者や宗教家を訪れたものの、誰も答えられなかった。しかし、この文字の意味を知ろうとしだした頃から、林は病気直しが出来るようになっていたという。
だが、林は病気治しより、生命が光り輝くような何かを求めたくなっていた。そして、病気治しに疎ましさを感じるようになってきた頃、生駒山系の竜王山にかかっていた虹を見て、霊的な感動を林は覚え、それ以来林は虹の起点から終点までを訪ね、山野で瞑想を行うようになった。この時林は37歳になっており、この修行は10年間続いた。
1944年、
営界教団を立教。
営とは、一人づつ克明に救いあげる営みを意味し、界は現界、霊界とともに、仏教の過去世、現世、未来世であると言う。立教した際、幼名の喜次郎から光輪と改名する。
1951年~1952年ごろになると、信者は定着し始める。林が73歳のときに彼は失明。1985年、林は紫光と名乗るようになった。
1988年に林は他界。現在は、林瑞光が教主を務めている。
教団の教義・特色
教団本部にある、伊吹山から運んできた「八大竜王大神霊」と書いてある自然石を神体とする。この「八大竜王大神霊」が宇宙を動かし、宇宙は日、月、火、水、木、金、土、風(気体)の八大要素から成り立っているという。
何故石を神体にしたかというと、人の手が加わった彫刻の神体より、石のほうが自然で、石からは霊光が出るからだという。

・創始者 林紫光
・現継承者 林瑞光
・本部所在地 大阪府交野市
・信者数 約3000人
教団の沿革
創始者・林紫光(幼名:喜次郎)は、1901年7月、大阪府交野市(当時の大阪府北河内郡交野村)の仏師、林喜八郎の長男として生まれる。林が4歳の時、林は眼が見えなくなり、両親は眼病平癒で有名な京都府長岡京市の柳谷観音に籠って祈願するようになる。そんなある日、僧が陀羅尼を唱えて、数珠をくっていた時、林は元通り眼が見えるようになったという。
林は、内心は進学したかったものの、小学校高等科を1年で中退し、厭々ながら家業を手伝うようになる。しかし、好学の徒であった林は、学者であった桜井茹村から漢詩や和歌を学び、京都に出て茶道や華道を身に付けるようになった。
家業の手伝いで、集金をしていた林は、得意先から端数をまけてくれるよう頼まれ、断れず、父親は林が代金を誤魔化したと思う。このように、金を扱う事が嫌となった林は、10代の終わりから20代の終わりにかけて、宗教の門口に立つこととなった。
林が28歳の頃、ある明け方に、林は金色の球を捧げ持っていた者から、「これにしなさい、これが真実だ」と語りかけられるという体験をし、何日かにわたって同じ体験をした。怖くなった林は、奉書を壁に張って祈った。その時、白紙の中央から、金色の丸い球が現れ、その周りに紫色の球が浮かび上がり、それは九曜星の形をしており、毎日祈っていると紫色の象形文字が現れたのでそれを模写した。その文字は全部で20文字。しかしその意味は分からず、その意味を知ろうと漢学者や宗教家を訪れたものの、誰も答えられなかった。しかし、この文字の意味を知ろうとしだした頃から、林は病気直しが出来るようになっていたという。
だが、林は病気治しより、生命が光り輝くような何かを求めたくなっていた。そして、病気治しに疎ましさを感じるようになってきた頃、生駒山系の竜王山にかかっていた虹を見て、霊的な感動を林は覚え、それ以来林は虹の起点から終点までを訪ね、山野で瞑想を行うようになった。この時林は37歳になっており、この修行は10年間続いた。
1944年、


1951年~1952年ごろになると、信者は定着し始める。林が73歳のときに彼は失明。1985年、林は紫光と名乗るようになった。
1988年に林は他界。現在は、林瑞光が教主を務めている。
教団の教義・特色
教団本部にある、伊吹山から運んできた「八大竜王大神霊」と書いてある自然石を神体とする。この「八大竜王大神霊」が宇宙を動かし、宇宙は日、月、火、水、木、金、土、風(気体)の八大要素から成り立っているという。
何故石を神体にしたかというと、人の手が加わった彫刻の神体より、石のほうが自然で、石からは霊光が出るからだという。