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カテゴリ : 諸教系

・創始者 山本慈光管長
・信者数 3,690人
・本部所在地 三重県四日市市
・崇拝対象 神仏混淆(喜王大神、慈光観世音菩薩)
・機関紙 「慈光」(月刊)

教団の沿革

 創始者の山本慈光(幼名:竹美)は、1926年10月3日、大阪府柏原市の商業、山本隆市・ますゑの二男として生まれる。山本は、3歳のときにジフテリアに罹って、生死の間を彷徨う。両親は、「どうかこの子をお助けください。もしもこの願いをお聞きいただくならば、必ず神仏のお役に立つ仕事をさせることを、ここに誓約いたします。」と神仏に祈った。しかし山本の息は止まる。顔には白い布が掛けられて、枕線香が焚かれて、医者は悔やみを述べ玄関を出る。しかし母親は医者を追いかけて、「後生だから、もう一本注射を打ってやってください。」と泣いて頼み込んだ。医者は、無駄だとは思いつつも、母親の願いに打たれて、山本の腕に注射をさす。その途端、山本はなんと目が開いて、甦生した。

 それから22年後、山本は25歳になっていた。山本が新婚旅行から帰ってきた日、両親に仏間に呼ばれて、初めて3歳のときの神仏との約束事を明かされる。「本日只今より、事業をやめて修行の道に入るように。」山本は、両親の直向な義理堅い神仏との誓約に、抵抗する術なく、出雲大社教の神審、増田師を訪れる。以後、厳しい指導をうけて、「魂とは何か」というのを唯一追い求め3年。印加を得た山本は聖徳太子御廟に呼ばれて、「世間虚仮・唯仏是真」を感じて会得し、「人間いかに生くべきか」を悟った。1968年に大阪から四日市市に布教の拠点を移し、「真和会」を立教する。そして同市を中心に二十余年布教活動を展開するして、1986年に教団名を「慈光会」に変更し、宗教法人登記。何年か前の年に、2回韓国を訪れる。その国のキム・ドンシン(金東信)という人物が主催する三一聖徳会に招かれ、姉妹提携を結ぶ。キムから山本は、世界の運命を司る使命を持った師と言われる。

教団の特色

 神示信仰、慈光会の拠所とするものは、1950年に山本が天から貰ったという「法図」である。今日まで信仰40年の間に山本は「法図」を8号受ける。これが慈光会の如意宝珠とされている。又、祭経一致を説く。「祭」は神仏混淆、「経」は経済で、生活即信仰の実践とする。安らぎ(心体)、豊かさ(肉体・経済)、永遠に続く(霊体)の三位一体を理念とする。この教団は「山善」という四日市市に本店を置く株式会社を直営している。この商品の中に、世界的な発明商品があるといわれている。

教団の行事

 毎月13日の、山本慈光の説法(慈光師念持仏本尊、慈光千手千眼観世音菩薩)。毎年10月3日に、山本慈光の誕生会がある。

・創始者 グェン・タィンナム
・別名 椰子教、ココナツ教団、椰子教団など
・本部所在地 ベトナム・フーン島(別名・フェニックス島)

教団の沿革
 同教団は、1964年にグェン・タィンナム(漢字表記:阮盛南、別名ダオズア)が、仏教、儒教、キリスト教、カオダイ教、ホアハオ教(カオダイ教、ホアハオ教はベトナム発祥の新宗教)を混淆させて作った宗教である。
1965年に「椰子の実教団教主の苦行の人生(修業者グェン・タィンナム)」を出版。教祖は9人の妻とのハーレム生活を送り、平和を訴え、ベトナムの統一を掲げ、ココナツだけを食べて生き続け(砂糖や塩も使わない)、昇天時には体重が30キロも無かったといわれている。教主の死亡と同時に、1990年、政府に解散させられた。

・創始者 保聖愛
・崇拝対象 太陽
・本部所在地 群馬県前橋市

教団の沿革

 創始者の保聖愛は、1925年に長野県須坂市で生まれた。融通念仏宗の総本山、大念佛寺の学林を卒業する。独学で哲学、宗教哲学、文学を習得した。釈迦が予言した三大予言「転法輪・照法輪・持法輪」が達成した現在、聖人類救済の大道が開かれたといわれている。

教団の特色

 組織を持たないし、金もかからない。只朝タに太陽に向かって、「聖賛美と聖祝福復活」を祈る。相すれば、血液が聖められて、天災や人災を鎮めて、夫婦の相互関係、意の病、肉体の病気等一切が癒されるという。

教団の活動

 自宅で毎朝タ、「聖賛美と聖祝福復活」を祈る。

※まことの字はhttps://livedoor.blogimg.jp/tan_boh-new_religions/imgs/7/b/7bb440c3.gif(◯の中にゝ)と表記

・創始者 川端善雄会長
・信者数 15,000人
・崇拝対象 https://livedoor.blogimg.jp/tan_boh-new_religions/imgs/7/b/7bb440c3.gif(おおかみさま)
・本部所在地 三重県いなべ市

教団の沿革

 1924年、創始者の川端善雄は、三重県桑名市の官史の家に生まれる。川端は、若くして肺結核や、心臓病などの大病に遭い、長い闘病生活を余儀なくされる。その間、哲学、宗教書などを精読して、信仰に対し強い関心を抱く。1945年、名古屋にて空襲を体験。ここで3度にわたって奇蹟的に命拾いをした。戦争の悲惨さを目にした川端は、平和な世界を目指して「世界協同体」を構想する。戦後、1947年に、「共同体理念の法則」を発案して、1950年5月に伝道団体「愛の道」を創立。この頃から社会活動に従事し、労組や右派社会党、民社党の地元支部の幹部を歴任した。1963年に岡本天明が運営する「ひかり教会」を知って、1967年にその教えを引き継ぐ形で「https://livedoor.blogimg.jp/tan_boh-new_religions/imgs/7/b/7bb440c3.gifの家」を立教する。このhttps://livedoor.blogimg.jp/tan_boh-new_religions/imgs/7/b/7bb440c3.gifとは、○とゝからなる神代文字で、○は絶対無限の和、ゝは神霊、神理を表す。
1973年に宗教法人の認証を受けた。

教団の教義・特徴

 神と人間の一体による絶対的理想世界の実現が目的である。教団は世界協同体を目指しており、宗教のみではなく、政治、教育、文化全てをひっくるめた協同体の理念を提唱している。

・創始者 桑田道教
・現継承者 桑田偉作会長
・本部所在地 神奈川県足柄下郡
・信者数 11,308人
・崇拝対象 真生大御神

教団の沿革

 創始者の桑田道教(本名:桑田源五郎)は、1897年に、徳島県那賀郡に、農家の桑田槇蔵、ヒサの長男として生まれた。1907年に桑田家は北海道虻田郡に移住する。1917年に父が癲癇に罹り、桑田はそれを治そうとして宗教の道へと入る。桑田は指圧療法や催眠術を実習実験し、1922年に「帝国心霊研究会」を創立する。1940年に「真生会」に名称変更。1953年に宗教法人登記。

教団の教義

 人類の生活の根源が大地の大理法に起因し、諸災諸病はこの大理法に叛いた結果であるという。なお、岐阜県にある仏教系の宗教団体である「真生会」とは関係がない。

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