新宗教研究サイト

当ウェブサイトは新宗教を研究するサイトです。特定の団体とは一切関係なく、あくまで私が趣味の範囲内で運営するサイトです。
なお、記事に対するコメントはこちらのメールフォームによろしくお願いします。

新宗教探訪←私が運営するブログです。こちらもよろしくお願いします。

カテゴリ : 諸教系

・創始者 矢井清勝
・信者数 250人
・本部所在地 岐阜県岐阜市

教団の沿革

 創始者の矢井清勝は、1925年2月、岐阜県に生まれる。明治大学商学部を卒業し、軍隊に入隊する。戦後繊維事業に手をつけるが失敗。1952年に世界救世教に入信。1973年に、信仰上の対立のため除名を受ける。この間の職業は銀行員だった。その後養蜂、プロパン会社、駐車場の管理など職を転々とした。1981年12月に、「神鏡の里」を立教。1986年に「天子の里」と教団名を変更。

教団の教義

 矢井が神の分身で、神は地上に生きているという。ちなみに矢井は、嘗てアイドルタレントだった岡田奈々の父親である。

・創始者 伊集院顕成
・現継承者 伊集院利成
・本部所在地 静岡県浜松市

教団の沿革

 父親が軍人の伊集院顕成は、日本大学法学部と、早稲田大学文学部を卒業する。1924年5月、自分の能力を見出して、疎開先である静岡県浜松市で宇宙太霊神を主神とする、「互尊伸哲学道教団」を立教した。

教団の特色

 団体としての活動はなく、訪問した人には「霊救術」と云うのを行う。現在は伊集院利成が代表者となっている。

・創始者 岩崎照皇(しょうおう)祖師
・現継承者 岩崎豊皇(とよこ)教主
・崇拝対象 八大竜王水神
・信者数 82,930人
・本部所在地 埼玉県さいたま市

教団の沿革

 岩崎照皇(本名:信雄)は、1934年、香川県丸亀市(当時の綾歌郡飯山町)にて、5人兄弟の長男として生まれる。
 岩崎家は、京極派の流れを汲んでいる名家だったが、曽祖父の多吉の時に借金を残して死んだため、祖父の津彌太は妻に呉服屋をやらせたり、菓子屋を始めたりして、岩崎が生まれた頃には完済していた。軍人だった父は中国に行ってたため、岩崎は43歳離れた祖父の子供のように育てられた。祖父はかなりの厳格な人で、厳しいしつけを受け育てられた。祖父が最も嫌うことは、食べ物を粗末に扱うことだったという。
 岩崎は、国民学校(今の小学校)の時に、荷馬車と正面衝突しそうになったのを地蔵菩薩に助けられたという体験をした。この超常現象の体験により、岩崎は宇宙の霊気体が人間の生体に加わる事実を知ったという。他にも、中学生のときに崇徳天皇の白峰御陵という場所に仲間5人で遊びに行き、夢の中に崇徳天皇が現れ、4時間掛けて崇徳天皇を霊界に送るという体験もしている。

 1951年に岩崎の父親が北海道の乾物を四国へ大量に入れようとし、500万円を友人から借り、事業を始めるが失敗し1945年に勤めていた農協経済連をやめ、化粧品販売会社を始めるが失敗し、今で言う20億円の借金を残し、蒸発してしまう。その時期に、飯山高校の2年から3年にあがろうとしていた3月21日の彼岸に、親戚に配る餅をつき、黄疸に罹り、半年の昏睡状態の間、幽体離脱を体験する。
 法律家を志していた岩崎は、中央大学法学部に入学する。しかし父親の借金が大きく圧し掛かり、2年で中退。古里に近い高松市にある放送局、RNCに入社する。しかし法律家になる夢をあきらめきれず通信講座で法律の勉強を受ける。当時のRNCのオーナーだった参議院議員の平井太郎の秘書も任される。平井は2度目の選挙を迎えることになり、平井夫人から100万円の資金を引き出し、選挙運動を始める。これにより平井は当選する。しかし公職選挙法違反により岩崎は逮捕、のちに釈放され、平井は岩崎家の500万円の借金を肩代わりしてくれる。
 その後報道記者やアナウンサーとして活躍していた岩崎だは、手巻き式の録音機がひとりでに回ってるなどの超常的な体験をしたり、人に起こることが前もって起こるということが起きるようになる。

 1928年、27歳のときにいきなり髪が白くなり、耳が聞こえなくなってしまうという奇病に襲われ、四国八十八ヶ所を徒歩でめぐり、吉崎御坊や善光寺などを巡り歩いた。旅の間も何も聞こえず、老人のような声が幽かに聞こえたと言う。その声の主に「あなたはいったい誰ですか」と聞き、それを始めに八大龍王水神との対話が始まった。1964年2月14日に岩崎は九州高千穂の天岩戸神社の八大の宮を訪ねた。高千穂の峰に登った72日目の1964年4月27日に、岩崎は宗教家になり、この日を教団では「神立ちの日」としている。

 その後RNCに退職願を提出し、上京する。ショッピングバックを作る会社に勤めるが、埼玉の氷川神社、茨城の鹿島神宮、神奈川の寒川神社、三重の伊勢神宮、和歌山の熊野大社、島根の出雲大社を訪ねる日々が続き、会社はクビになる。その後社長に頼み袋貼りの内職をする。しかし長続きせず友人が常務をしたいたキャバレーで働く。
 1966年に妻は娘を連れ実家に帰ってしまい、その後岩崎は名古屋のキャバレーに勤め、耳も聞こえるようになり、黒髪に戻った頃、陶磁器の不良品を贈呈用のセットに仕上げて売る仕事が当たって大儲けする。しかし濡れ衣を着せられ4億円の借金を抱えた。そして、以前勤めてた横浜のキャバレーの大宮支店に就職し、その後南浦和のマンションを借り、「高千穂神霊本部」を始める。1974年1月に閉める予定だった飲み屋を譲り受け、17時から22時しか営業しない小料理屋「葵」を始める。この高千穂神霊本部の頃に、豊皇を養女に迎える。

 岩崎豊皇(本名:金子尚美)は、1957年に銀行員の道明・絢子の長女とし、埼玉県さいたま市に生まれる。國學院大學神道科卒業。母親・絢子が1975年に岩崎照皇に相談し、それを聞いた18歳の豊皇は岩崎に会いに行った。豊皇の霊的素質を見抜いた岩崎は、豊皇を養女に迎えた。

 同年4月畑和埼玉県知事の認証がおり、「宗教法人高千穂神霊教団」の旗揚げをした。
 1986年11月7日の「祖師御聖誕祭」(女優の松岡きっこ、清川虹子、当時サムスンライオンズ在籍の新浦壽夫ことキム・イリュンなどが参加)にて、「日本聖道教団」の教団名変更を宣言する。理由は、高千穂神霊教団というと、高千穂の山奥にある教団と誤解を受けてたからだと言う。1987年5月6日に韓国カンウォン道のソラク山のチョンブルトン渓谷に横たわる数百キロの巨石を聖訓石と呼び、ここを聖地と定めた。1992年7月26日、「東海道五十三次ぎカン栗毛」という東海道五十三次に捨てられた空き缶を拾い、地球を救うというキャンペーンが行われた。
 1993年に、岩崎は財団法人グリーンクロスジャパンの最高顧問に就任し、岩崎豊皇が教主の座に就き、岩崎は理事長の座に退いた。

教団の特色
布教活動が盛んで、信者が家を一軒一軒訪れて、教団のパンフレットを配っている。例えば、「御神問・御光洗祈祷を受けてみませんか」と大きく書かれたパンフレットに、
(1) 自閉症・登校拒否のお子様はいませんか。
(2) 夫婦のことで悩みはありませんか。
(3) 商売やお仕事は順調ですか。
(4) 結婚や就職はお決まりですか。
(5) お体の調子が悪いとかでお困りではありませんか。
(このようなことから他の諸問題に至るまでの原因とか解決方法を御神託によってお答えします)
と書かれている。関連企業に、高千穂総業、ジャパン・アピーズがある。岩崎の著書に、「ひらいてむすんで」、「南海千里をゆく」、「こころの夜明け」、「きみのそばにも霊がいる」、「大自然とシンクロナイズせよ 神界篇」、「まどかを生きる」、「南海千里をゆく」、「こころの夜明け」、「まだ見ぬ人よ、ありがとう」、「いろはにほへと」、「白の恐怖」、「生体エネルギーを増幅せよ」などがある。

関連リンク
岩崎豊皇の霊視相談

・創始者 北川慈敬教主
・本部所在地 神奈川県横浜市

教団の沿革
 創始者・北川慈敬は、1937年9月12日、大阪の阿倍野で生まれる。その後母親の中村房江は病院の慰問をしていた秩父宮勢津子に偶然会い、その縁で妃殿下の先導をしていた婦人会会長の援助を受け、名古屋で青葉洋裁店と言う洋裁店を開業する。1945年、北川は越前海岸にある父親の実家へ疎開する。
 北川が小学生高学年の頃、父親は別の女性と関係を持ち、両親が離婚する。それから間もなく近所の人から「解脱会」を薦められ、11歳の時に母親と共に解脱会に入信。小学6年生の頃には、生長の家の谷口雅春、立正佼成会の庭野日敬、天理教の中山みきなどの著作を読み始め、カトリックの教会にも通っていたという。
 中学生の頃、母親の腕に一升瓶の破片が腕に刺さったため、手がだめになり、青葉洋裁店を閉業。その後、もともと我の強い母といると、自分の人生もだめになると思い、母親と縁を切る。その後父方の伯父の松河松雄が運営している日伸ビルという会社に務め、1957年10月、北川が20歳の時に夫・北川和夫と結婚する。その後母親を迎え、母親は看護婦になる。
 1966年11月、父親が63歳で亡くなり、その11年後に母親も亡くなる。

 1997年9月12日、真言宗醍醐派総本山・深雪山醍醐寺の真如三昧耶堂で、真如苑教主の伊藤真乗夫妻の姿が現れ、「私たちの教団は、霊界にこういう世界を作っております。ここは会員さんが亡くなった後でも、穏やかで安らげるように作った場所です。そして私たちが作ったように、あなたもあなたの霊界をどうかお作りになってください。見えないところへ行った人々を救ってあげてください」と告げられる。
 1999年2月、北川の次男の悠仁(フォークデュオ「ゆず」のメンバー)のスキャンダルが雑誌に取り上げられ、解脱会ではこれが問題になり、これを機に教団を脱会。その年の5月に「かむながらのみち」を立教する。

教団の教義・特色
 この教団では、「セミナー」(セミナーは一人一人の「魂の覚醒」だという)、「リーディング」(人間の表面意識と潜在意識の間にある「本質意識」を読み取っていくという)などを行っている。
神は三宅島を噴火と言う形で禊いでおり、北川は三宅島の上に巨大な井上正鐡神(禊教教祖)の姿を霊示したという。なお、人には必ずカルマがあり、どんな事をしてもそのカルマからは逃れられないと説く。

教団の関連企業
㈱ETLジャパン北川精密工業㈱、長男の悠仁が所属、三女の幸子が経理を務める㈲仁社がある。なお、ワンワールド・ワンピープル協会というNGO団体と若干交流があるという。

関連リンク
公式ウェブサイト

・創始者 亀井美代子光祖
・信者数 500人
・崇拝対象 太陽
・本部所在地 北海道札幌市

教団の沿革
 
創始者の亀井美代子は、1931年に、北海道常呂郡の農家の9人兄姉の末っ子として生まれる。高等小学校を卒業後、地元の農薬会社に就職した。1958年に同僚(年下)と結婚して、2男2女を儲ける。しかし、乱暴で家庭を顧みない夫に嫌気がさし離婚。子供を連れ札幌へ出る。その頃から夢の中に神が出てくるようになる。その後1981年に太陽を信じるピラミッドの会を立教する。

教団の特色
 
時々信者たちが光祖(亀井美代子)を中心とし、酒を交わしながら、霊的な体験談を語り合ったりする。太陽に感謝して、先祖供養をすれば、生前の悪行、怨念が浄化されるという。

このページのトップヘ