新宗教研究サイト

当ウェブサイトは新宗教を研究するサイトです。特定の団体とは一切関係なく、あくまで私が趣味の範囲内で運営するサイトです。
なお、記事に対するコメントはこちらのメールフォームによろしくお願いします。

新宗教探訪←私が運営するブログです。こちらもよろしくお願いします。

カテゴリ : 神道系

・創始者 渡嘉敷シズ子
・崇拝対象 生天光神
・信者数 6,000人
・本部所在地 沖縄県うるま市

教団の発祥

 創始者・渡嘉敷シズ子は、1954年に生天光神の降臨を受けて、生天光神明宮を立教する。これ以後、彼女が神から受けた啓示をもとに宗教活動がされた。1984年宗教法人登記。

教団の教義・特徴

 この教団の生天光神は、琉球古神道における世界根源の軸神で、宇宙大自然の御親神であるとされている。沖縄の優位性を主張しながらも、日本神道的な要素も取り入れて、普遍主義の志向もあり、シジタダシ(筋正し。祖先との系譜関係の修正を意味する。)を重要視している。

・創始者 波瀬善雄
・現継承者 波瀬敬詞
・崇拝対象 大宇宙の分神・御守護神様
・信者数 89万5,347人(1995年現在) 
・本部所在地 千葉県野田市
・教典 御書、御由来、御誓訓など
・機関紙 霊波(毎月15日発行)
・機関誌 月刊RHK

教団の沿革

 1915年7月2日、創始者・波瀬善雄(本名:長谷義雄、信者には御守護神様と呼ばれる)は、葛飾金町にて、農家の8人兄弟の長男として生まれる。1936年、波瀬は陸軍に入隊。しかし中国に滞在中痔瘻、結核、肋膜炎、腹膜炎などに罹り広島へ向かう。しかし療養所を退所して、周りの反対を押し切り、1939年6月8日、東京発門司行きの電車に乗り霊峰山(五剣山)へ向かい、宇宙神の啓示を受ける。すると、病気が治ったという。
同年8月、山を下り家へ帰る。その後全国の山々へ向かい、10数年間の間修行を積む。そして1954年3月7日、神は波瀬が神の分神であることを明かし、以前軍隊にいたときの発病は、神の力を送り込まれ、霊魂と肉体のバランスが崩れたためであったと説く。
 波瀬は、九州大隅で座禅を組んでいる途中に、「妻をめとれ。すでにこの世の者にあらず。汝の苦行を助けんがためであり、汝が宮城(みやしろ)の喜びに接するとき、女性はこの世を去るべし」と神に告げられ、その女性を妻に迎えた。その妻(御内室様)は1958年、4人の子供を残し亡くなる。
 1956年、宮本よしを代表に、霊波之光讃仰会を発足。1957年宗教法人登記。1960年、役員の教育のため滝行を行ったときに、波瀬に稲妻のような光が発したという。1984年3月19日、波瀬、永遠不滅の霊波・御光になった(亡くなったことを意味する)。現在は波瀬の養子の波瀬敬詞(本名:長谷敬詞、信者には二代様と呼ばれる)が継承している。ちなみに、波瀬の趣味は盆栽だったせいか、現在同教団では盆栽の写真集を発行している。

教団の教義・特色

 物を見通したりするなどの「神通力」は、サタン霊と言う低級な霊が取り付いているからであり、そのような霊が取り付くと、末代まで幸せに離れない説く。「シンコウ」には、3つの種類があり、「心仰=自分の心を信じること」、「真仰=宇宙の真理を信じること」、「信仰=心仰と真仰の2つが備わった本当の信仰」があるという。霊波之光教会に入ると永遠の幸せを手に入れることが出来、このような喜びは他では手に入れることが出来ないと教え、
信者は「御守護神様、二代様、我ら人類救済の道へ歩ませ給え」の祈りにより世界平和を築き上げなければならないという。
 同教団が説く死後の世界は、時間・空間がなく、物質を必要としない世界であり、霊界は苦はなく、働いたり食べる必要もない。霊界へは何も持ち込めないので、その人が犯した罪もこの世へ置いていくこととなり、その罪は因縁となり子孫へ還ってくるという。
 現在の数多くの宗教は、方便を使い神を冒涜しており、真の神が降りた現在はそのようなことは絶対に許されなくなり、神が定めた法則を犯したことになると説く。

 なお、略称は「RHK」。現在、OL風の女性が、泣いてる女の子に自分が持っている花束の中から一輪の花をあげ、「暖かい心は、挨拶から。笑顔と思いやりに、喜びと、幸せ。霊波之光」というナレーションとともに、天使閣の画像が出てくるというコマーシャルが放送されている。

教団の行事

・1月1日午前0時 御水取之御儀
・1月1~3日 初詣
・1月第2月曜日 成人之儀、成人の祈り
・3月7日 御聖神祭
・3月19日 奉 霊波感謝祭
・6月8日 御聖旅祭
・7月2日 御聖誕祭
・7月28日 二代様御誕生祭
・11月2日 新米奉上式
・11月15日 七五三之儀
・12月31日 越年前夜祭
この中でも、御聖神祭、御聖旅祭、御聖誕祭は三大佳節と呼ばれる。その他、毎月2日は礼祭日とされている。

関連リンク

公式ウェブサイト
新宗教探訪

・信者数 500人
・本部所在地 東京都渋谷区
・崇拝対象 主神天照大御神

教団の沿革
 創始者の松林秀豪は、1948年7月に、父作太郎、母敬子の長男として、大阪市東住吉区に生まれた。厳格な父に育てられた松林は、かなりのスパルタ教育を受けてきた。時には父の拳骨を恐れるがあまりに、近所に住む一番上の姉のもとへと逃げこんだ。中学2年のときに松林家は一家で上京した。その後拓殖大学第一高等学校へ進学するが、程なくして中退する。

 大阪に戻った松林は、自動車整備工場などで働いていたが、21才のときに再び上京する。その後、30歳になるまで警備会社に勤務するが、この間、松林にさまざまな霊体験が起こる。例を挙げると、一人で食事をしていると、隣に誰かが座っている様な気配がする、夜寝てると突然金縛りに遭い苦しくなるなどの異常事態が続き、会社に辞表を出した。周囲の人々は彼を異常者かノイローゼと見ていたようだが、近所に住む病気の人にに手を当てただけで病を治したり、不幸続きの人に浄霊で原因を取り除くなどと言う霊能力を発揮したため、松林に対する評価は変わってきた。彼は仙道術気功(離れていながら、相談者の体を自由にコントロールできたり、触らないで相手を倒したりする中国に古くから伝わる施術法)を自然に身につけた。この様な、松林が持つ力に最初に気づいたのは、母親の敬子で、敬子は近所の悩める人々を松林の所へ連れて来るようになった。

 1984年に西武線ひばりが丘駅の近くに、「心霊相談所」を開設する。日を追う毎に松林の特殊能力は磨きがかかって次第に人の知る所となり、全国から相談者が相次ぐ。尚、松林には5人の姉がいるが、5人とも歌手や女優など芸能の道へと進んでいる。以前は「ディメンション千手会」と名乗って活動していた。

・創始者 白川資長
・現継承者 高柳初枝
・本部所在地 大分県大分市
・信者数 11,282人
・崇拝対象 天照大神

教団の沿革
花山天皇の末裔の白川家は、明治になって古神道が隆昌すると、白川家当主、白川資長を会長とし、「復古派神道斉修会」を生じさせる。その後1940年に「宗教結社皇教」を設立する。1946年に「宗教法人皇教本院」と名称を変更する。1954年「皇教本院派」とし宗教法人登記。このときの代表は白川資長ではなく高柳明初代管長だった。

教団の教義
中心とする神を天照大神とし、万民協和文化光明、地上天国、神の国建設を目当として、探求実践するという。

教団の組織
教会が1つある。

・創始者 元木勝一
・現継承者 中島教絵教主
・崇拝対象 宇宙一元之大神
・信者数 1,077人
・経典 一元之宮教典
・本部所在地 大阪府大阪市

教団の沿革
創始者の元木勝一(本名:元木勇)は、1906年3月、北海道空知郡の製材業、元木多吉・コマの二男として生まれる。高等科を卒業した後、大阪に出て、鉄工所や造船所等職業を転々としている時、1928年ごろに肺結核で倒れる。医者からあと数ヶ月の命と言われた時に、神の声を聞いて、病気が全快したという。その後深谷霊谷にて霊感を得て修養する。元木は、「神は世に出て霊身一体宇宙一元の大元理を釈いて世界を救うときが来た。救いの道一筋に精神して呉れぬか」との霊示を受ける。1950年10月28日「大日大立元理教団」を立教。1952年10月、宗教法人登記。1964年一元之宮の教団名変更。
同教団により、「1972年6月18日午前8時に大地震起きるので、一刻も早く避難せよ」と云うチラシが名古屋や大阪で配られる。信者たちは自分の土地や家を売って山間部へと逃げる。その当日(1972年6月18日午前8時)にマスコミは一元之宮に集まったが、結局地震は起きなかった。予言が外れた元木は教団施設内で白衣姿で切腹自殺。発見が早かったため助かった。1981年元木亡くなる。

教団の特色
信者は、大阪府八尾市高安山山中にて共同生活を送っている。教義は、浄霊を受け魂を磨いて、天霊の霊教を身に付けて実行し、天地一切の元理を基にして行徳を積み霊感を得て聖霊へと通じ、世界恒久平和に貢献するという。

このページのトップヘ