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カテゴリ : 仏教系

・創始者 藤沢正教(まさのり)
・現継承者 藤沢玉江管長
・本部所在地 岡山県倉敷市
・教典 不動経、大日経、法華経

教団の沿革
 創始者・藤沢正教は、1909年生まれる。藤沢は、西遊記で有名な三藏法師・玄奘を開祖とする法相宗の教えを源流として、霊峰に入り修行し、不動明王の霊感を体得し、1949年4月、同宗から独立し、不動宗を立教する。1953年8月、宗教法人登記。

 現在の管長は、3歳のときに、大火事が元となり3ヵ年間足が立たなくなる。その後、25歳のときに、緑内障により失明同様の状態になった。治療の為に、大学病院など様々な病院に渡るが、どの病院からも見放された。その後、神仏に縋るようになり、一畑山、剣山、成田山、後山、四国88ヶ所などを巡り、草木を常食し、神仏に祈る事1000日。その間に、薬師如来、弘法大師、不動明王を尊拝した所、緑内障が全快する。その上、呪元術霊法を会得して、この苦行で真言三密を得て、この霊術で、難病者に呪元術を施せば、難病も全快したという。
それ以来、呪元術法実験大会や、呪元術霊法講演などを行い、救われた人は数百万人にも達するという。

教団の特色
 管長が、「先生術施術実験」と称した呪元術の実験会を全国にて行っている。呪元術法とは、最尊最勝の秘法であり、神変不思議の霊力をその時点で表して、妙薬となり難病者を救うと言う。
呪元術霊法とは、プラーナが一種の反射運動を起こすものであり、人の疾病は霊力、生気などの欠乏によって起こるもので、患部に呪元術を放射する事により、病気が治ると言う。     

・創始者 始祖岡野正道大統理
・現継承者 岡野正純第三世統理
・崇拝対象 熟益開顕正法大曼荼羅
・信者数 41万589人
・機関紙 孝道新聞
・機関誌 まいとりー
・本部所在地 神奈川県横浜市

教団の沿革
 創始者・岡野正道(しょうどう)(本名:正道(まさみち))は、1900年2月14日、岡野仙太郎・タキの長男として、茨城県かすみがうら市(当時の新治郡志士庫村)に生まれる。
1902年、岡野貴美子生まれる。
 父親の仙太郎は、慶応大学卒の官吏で、新しい考えの持ち主で、厄害が起きるという日蓮の直筆と言われる法華曼荼羅を引き取ったこともあったという。父親は1909年に53歳で亡くなる。その後母親とは別れて暮らすことになるものの、正道は12歳のとき母親のいる横浜へ向かう。そこから錦城学園(当時の錦城中学校)に通うことになり、1917年に卒業。その後従兄の黒田担海(真崎邑四郎)に薦められて1918年に埼玉県川越市の天台宗星野山無量寿寺中院に出家。1919年4月3日に得度を受け昭貫という法名を授かる。

 1921年、寺を出て上京。東京の電気医療機械商社に勤める。その後札幌に支店を設立。1923年会社は倒産したが札幌支店は独立したものの、関東大震災により、資材が入らなくなり閉鎖。その後上京し大崎電線と言う会社に勤める。同僚の計らいにより1924年貴美子と結婚。1925年に正道の長男正貫(本名:照勝)が生まれ、電話線加工とトランスの製造の仕事を始める。しかし金融恐慌により倒産。その後大阪の電機メーカーに勤めるが、倒産。岡野ラジオという電気屋を始める。1934年に霊友会に入会したが、翌年10月に脱会する。
 1937年、鄰子生まれる。

 1939年10月19日に横浜開港記念館でにあたる孝道会(孝道教団の前身)発会式が行われる。この孝道の「孝」は、親子の間の情愛、「道」はそこから生まれてくる人間界のすべてであり、これを体得したのが釈迦だという。なお、過去・現在・未来をつらぬく縦の孝と、全ての人に慈悲を及ぼす横の孝道と言うのがあり、これを説いたのが法華経であるという。
 1948年9月21日に、横浜の鳥越山での大道場建設のための整地作業が始まる。1949年2月27日に、整地作業途中の一人の信者が江戸時代の高僧、日庭上人の坐像が掘り起こされる。1952年に宗教法人登記と同時に「孝道教団」に名称変更。同年3月15日に仏舎利殿の建設が開始。同年7月28日に孝道山本仏殿が遷座し、この地を教団本部と定めた。同年8月18日に比叡山から仏舎利を迎える。1953年、ラジオ番組「仏法と孝道」の放送がラジオ東京(現在のTBSラジオ)で始まる。
 1955年、「平和の鐘」が落慶。同年8月8日に正貫第二世統理が比叡山根本中堂で得度し、「玄尚」という法号を授かる。ある夜、比叡山延暦寺の叡南祖賢大僧正の夢枕に大黒天が現れ、1956年5月、福田実衍大僧正が大黒天像を持って孝道山を訪れる(1990年に大黒堂が落慶)。1960年4月28日、比叡山から「不滅の法燈」を迎える。同年5月、仏舎利殿が落慶。同年10月28日、正貫の長男、正純生まれる。1963年、正貫、アメリカのカルフォルニアのクレアモント大学院で4年半に渡り比較宗教学を修める。同年9月25日、正貫の次男、洋尚生まれる(現在、佐和という妻、宏玄という息子がいる)。1966年1月1日、正貫の三男、宣勝生まれる(現在、智子という妻、悠一と言う息子がいる)。1975年、正純の妻、華蓮、香港にて生まれる。同年1月1日に、正貫、第二世統理に、鄰子、第二世副統理になる。

 1976年12月21日、貴美子亡くなる。1978年8月15日、正道亡くなる。
 1994年、正純、華蓮と結婚。2002年12月に正純・華蓮の長男・賢祥生まれる。2006年6月11日、正純、第三世統理に、華蓮、第三世副統理になる。

教団の教義・特色
孝道教団とは、歴史的に見ると最澄の法脈を日蓮に次いで表れた教団で、最澄の理論と日蓮の実践を併せ持ったのが岡野正道であると説く。

関連リンク
新宗教探訪
公式ウェブサイト

・創始者 鹿島敏郎
・本部所在地 静岡県富士市

教団の特色・教義
この教団の正式名称は「日本天皇道民族道奉賛宗教法人普明会教団」である。主な教義に「幸福への道五ヵ条」というのがあり、
一、開運の鍵は、先祖供養の中にあります(ご先祖様のお守りがなければ、幸福にはなりません。まず仏壇とお墓をきれいにし、ご先祖供養をいたしましょう。)
一、氏神様は、あなたの土地の守り神です。(大切にして、参拝、お掃除いたしましょう。)
一、己れのみ、よかれと思う地獄行きです。(お互いに助け合う心が平和を招きます。)
一、万象の十字架があって「私」があります。(牛、馬、草木、果実、万象万物の犠牲の上に、生かされている人間です。心から感謝して、物を大切にいたしましょう。)
この文化の世の中は、先人の苦労の賜です。(戦争の犠牲、天災の犠牲、数限りない血と涙の歴史の上に、恵まれた社会が築かれました。苦労をしのび、愚痴不平を言わない生活が、私達にできるさんげのくらしです。)
というのがある。他に「総戒名」というお札があり、これにより正しく先祖供養が出来、先祖を恨んでる霊も供養できて、これが先祖が求め先祖が喜ぶ先祖供養だと説く。

その他にも、信仰上の心得と言うのがあり、「得を積もうと努力せぬ所に、先祖の功徳も回向も、懺悔も有り得ず。まして神仏の守りもなし。ただ、罪による障りを受けるのみ」と教えている。
なお、創始者の鹿島敏郎は霊友会に在籍していたとも言われている

教団の組織
支部が19、支所が16、出張所が2ある。

関連リンク
教団公式ウェブサイト

・創始者 真木応瑞
・現継承者 真木崇日女管長
・崇拝対象 金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅
・信者数 262,790人
・経典 大日経
・本部所在地 福岡県久留米市

教団の沿革
1907年、創始者の真木応瑞は、福岡県福岡市に生まれる。真木は1920年、13歳のときに出家し、仏門に入った。
戦前は政治活動に熱中し乍ら四国へ遍路修行を重ねる。1943年新義真言宗大本山誕生院の院代となる。1945年東京大空襲に僧としての身分に戻る。
終戦と同時に「一三宗五六派を解体仏教の原点釈迦に還れ!」と既存仏教の中央集権的な組織の仕組みを否定する。新義真言宗始祖の興教大師覚鑁から霊告を受け、1948年2月に、卍教団を立教する。
この卍教団の卍の意味は、「Light(光明)」、「Love(聖愛)」、「Life(生命)」、「Liberty(自由)」の4つのLが合成したものである。なお、卍イコール万(悉曇文字)であり、功徳円満の意味もあるという。

教団の教義
合掌するだけで成仏できる「身業一密」という考えである。

教団の組織
寺院が68、布教所が164、教師数が943人である。

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