・創始者 岩崎照皇(しょうおう)祖師
・現継承者 岩崎豊皇(とよこ)教主
・崇拝対象 八大竜王水神
・信者数 82,930人
・本部所在地 埼玉県さいたま市

教団の沿革

 岩崎照皇(本名:信雄)は、1934年、香川県丸亀市(当時の綾歌郡飯山町)にて、5人兄弟の長男として生まれる。
 岩崎家は、京極派の流れを汲んでいる名家だったが、曽祖父の多吉の時に借金を残して死んだため、祖父の津彌太は妻に呉服屋をやらせたり、菓子屋を始めたりして、岩崎が生まれた頃には完済していた。軍人だった父は中国に行ってたため、岩崎は43歳離れた祖父の子供のように育てられた。祖父はかなりの厳格な人で、厳しいしつけを受け育てられた。祖父が最も嫌うことは、食べ物を粗末に扱うことだったという。
 岩崎は、国民学校(今の小学校)の時に、荷馬車と正面衝突しそうになったのを地蔵菩薩に助けられたという体験をした。この超常現象の体験により、岩崎は宇宙の霊気体が人間の生体に加わる事実を知ったという。他にも、中学生のときに崇徳天皇の白峰御陵という場所に仲間5人で遊びに行き、夢の中に崇徳天皇が現れ、4時間掛けて崇徳天皇を霊界に送るという体験もしている。

 1951年に岩崎の父親が北海道の乾物を四国へ大量に入れようとし、500万円を友人から借り、事業を始めるが失敗し1945年に勤めていた農協経済連をやめ、化粧品販売会社を始めるが失敗し、今で言う20億円の借金を残し、蒸発してしまう。その時期に、飯山高校の2年から3年にあがろうとしていた3月21日の彼岸に、親戚に配る餅をつき、黄疸に罹り、半年の昏睡状態の間、幽体離脱を体験する。
 法律家を志していた岩崎は、中央大学法学部に入学する。しかし父親の借金が大きく圧し掛かり、2年で中退。古里に近い高松市にある放送局、RNCに入社する。しかし法律家になる夢をあきらめきれず通信講座で法律の勉強を受ける。当時のRNCのオーナーだった参議院議員の平井太郎の秘書も任される。平井は2度目の選挙を迎えることになり、平井夫人から100万円の資金を引き出し、選挙運動を始める。これにより平井は当選する。しかし公職選挙法違反により岩崎は逮捕、のちに釈放され、平井は岩崎家の500万円の借金を肩代わりしてくれる。
 その後報道記者やアナウンサーとして活躍していた岩崎だは、手巻き式の録音機がひとりでに回ってるなどの超常的な体験をしたり、人に起こることが前もって起こるということが起きるようになる。

 1928年、27歳のときにいきなり髪が白くなり、耳が聞こえなくなってしまうという奇病に襲われ、四国八十八ヶ所を徒歩でめぐり、吉崎御坊や善光寺などを巡り歩いた。旅の間も何も聞こえず、老人のような声が幽かに聞こえたと言う。その声の主に「あなたはいったい誰ですか」と聞き、それを始めに八大龍王水神との対話が始まった。1964年2月14日に岩崎は九州高千穂の天岩戸神社の八大の宮を訪ねた。高千穂の峰に登った72日目の1964年4月27日に、岩崎は宗教家になり、この日を教団では「神立ちの日」としている。

 その後RNCに退職願を提出し、上京する。ショッピングバックを作る会社に勤めるが、埼玉の氷川神社、茨城の鹿島神宮、神奈川の寒川神社、三重の伊勢神宮、和歌山の熊野大社、島根の出雲大社を訪ねる日々が続き、会社はクビになる。その後社長に頼み袋貼りの内職をする。しかし長続きせず友人が常務をしたいたキャバレーで働く。
 1966年に妻は娘を連れ実家に帰ってしまい、その後岩崎は名古屋のキャバレーに勤め、耳も聞こえるようになり、黒髪に戻った頃、陶磁器の不良品を贈呈用のセットに仕上げて売る仕事が当たって大儲けする。しかし濡れ衣を着せられ4億円の借金を抱えた。そして、以前勤めてた横浜のキャバレーの大宮支店に就職し、その後南浦和のマンションを借り、「高千穂神霊本部」を始める。1974年1月に閉める予定だった飲み屋を譲り受け、17時から22時しか営業しない小料理屋「葵」を始める。この高千穂神霊本部の頃に、豊皇を養女に迎える。

 岩崎豊皇(本名:金子尚美)は、1957年に銀行員の道明・絢子の長女とし、埼玉県さいたま市に生まれる。國學院大學神道科卒業。母親・絢子が1975年に岩崎照皇に相談し、それを聞いた18歳の豊皇は岩崎に会いに行った。豊皇の霊的素質を見抜いた岩崎は、豊皇を養女に迎えた。

 同年4月畑和埼玉県知事の認証がおり、「宗教法人高千穂神霊教団」の旗揚げをした。
 1986年11月7日の「祖師御聖誕祭」(女優の松岡きっこ、清川虹子、当時サムスンライオンズ在籍の新浦壽夫ことキム・イリュンなどが参加)にて、「日本聖道教団」の教団名変更を宣言する。理由は、高千穂神霊教団というと、高千穂の山奥にある教団と誤解を受けてたからだと言う。1987年5月6日に韓国カンウォン道のソラク山のチョンブルトン渓谷に横たわる数百キロの巨石を聖訓石と呼び、ここを聖地と定めた。1992年7月26日、「東海道五十三次ぎカン栗毛」という東海道五十三次に捨てられた空き缶を拾い、地球を救うというキャンペーンが行われた。
 1993年に、岩崎は財団法人グリーンクロスジャパンの最高顧問に就任し、岩崎豊皇が教主の座に就き、岩崎は理事長の座に退いた。

教団の特色
布教活動が盛んで、信者が家を一軒一軒訪れて、教団のパンフレットを配っている。例えば、「御神問・御光洗祈祷を受けてみませんか」と大きく書かれたパンフレットに、
(1) 自閉症・登校拒否のお子様はいませんか。
(2) 夫婦のことで悩みはありませんか。
(3) 商売やお仕事は順調ですか。
(4) 結婚や就職はお決まりですか。
(5) お体の調子が悪いとかでお困りではありませんか。
(このようなことから他の諸問題に至るまでの原因とか解決方法を御神託によってお答えします)
と書かれている。関連企業に、高千穂総業、ジャパン・アピーズがある。岩崎の著書に、「ひらいてむすんで」、「南海千里をゆく」、「こころの夜明け」、「きみのそばにも霊がいる」、「大自然とシンクロナイズせよ 神界篇」、「まどかを生きる」、「南海千里をゆく」、「こころの夜明け」、「まだ見ぬ人よ、ありがとう」、「いろはにほへと」、「白の恐怖」、「生体エネルギーを増幅せよ」などがある。

関連リンク
岩崎豊皇の霊視相談