・創始者 五井昌久
・現継承者 西園寺昌美
・信者数 約50万人
・機関誌 白光
・本部所在地 静岡県富士宮市

教団の沿革
 創始者・五井昌久は、1916年11月22日東京の士族、五井満二郎、きくの四男として生まれる。幼少時、五井は病身だったが、非常に陽気な性格で、よく剽軽な踊りを踊っていたという。1923年、関東大震災を受け、バラックに住むようになる。その後義伯父に連れられ、新潟で暮らすようになる。高等小学校1年を終えると、織物問屋の店員になり、その後五井商店と言う店を開業した。
1940年、三兄の紹介により、日立製作所亀有工場に入社。労務課で文化運動の仕事をするようになり、高村光太郎や竹内てるよなどから教えを受けた。五井は一時腎臓を患っていたことがあり、事務員の女性から世界救世教の著書を借り、その事務員の女性の母親から、世界救世教の療法を受け、同教の理論に共感した。
1945年、終戦を迎え、人一倍愛国心が強かった五井は、玉音放送の後、工場長と相擁して泣き続けたと言う。その後日立を辞め、西洋古典音楽の音楽家を目指そうとするが、周りは五井の嫌っているジャズ楽団ばかりで、断念する。その後世界救世教の診療所を訪れ、岡田茂吉著の書籍を読むが、その内容には共感出来なかったものの、診療所の人の人柄に親しみを感じ、時折その人を訪ねたりした。また、それと同じ頃に、友人から借りたフェンイック・ホルムス著、谷口雅春訳の「百事如意」と言う本を借り、その本の内容に深い感銘を受けた。
 ある日五井は、岡田茂吉の家を訪問し、当時世界救世教の病気治しを行っていた五井は、岡田の話に大きく共感した。それから時は流れ、五井は生長の家本部を訪れ、谷口雅春の講話を聞き、その後五井の先輩を会長。五井を副会長とし、葛飾信徒会を設立した。
 しかし、五井は職についてなかったため、いくつかの出版社の採用試験を受け、その後某出版部員として、旬報の編集の仕事にあたった。
 1948年、知人の紹介にて、某心霊現象の会の会員になる。ある夜、五井は生長の家信徒会に行き、自動書記を行い、同席していた共産党の人を驚かせてしまう。
 1949年のある朝、釈迦から金色の珠と榊のような葉を5枚貰い、イエス・キリストが五井の体に入り、「汝は今日より自由自在なり、天命を完うすべし」と言う声を聞き、霊覚者になった。1951年、五井先生鑽仰会を発足。1956年、白光真宏会に改称。1968年、五井は宇宙人との調和を訴え、「宇宙子波動生命物理学研究所」を設立した。
 1971年、琉球王国の王家・尚氏の末裔、尚悦子が五井の養女となり、五井昌美と改名。その後1974年10月18日、五井昌美は西園寺公望の曾孫、西園寺裕夫と結婚。西園寺昌美となる。1980年、五井は亡くなり、養女の西園寺昌美が跡を継いだ。

教団の教義・特色
 世界平和の祈り、印、マンダラなどの同会独自の行を行う事によって救われると説く。
 個人の邸宅や店、寺院でよく見かける「世界人類が平和でありますように」と言うステッカーやポールは、同会の関連団体、五井平和財団(会長:西園寺昌美、理事長:西園寺裕夫)のものであり、このポールは、日本をはじめ、海外でも様々な場所で見ることが出来る。余談であるが、このパロディーとして、テレビアニメ「俗・さよなら絶望先生」のヒロイン、関内・マリア・太郎が、七夕の笹に、「世界全人類が幸せでありますように」と書いてある短冊を吊るすと言うシーンがある。
他に、世界平和の祈りを唱えている団体に、森島恒吉代表の唯一会、尾崎元海代表のコスモス会、岩根和郎代表の自明会などがある。

関連リンク
公式ウェブサイト
白光真宏会出版本部
五井先生資料館
五井先生に学ぶ
サロン百万遍
全託道場