・創始者 宮本ミツ会主、宮本孝平大恩師
・現継承者 宮本丈靖会長
・信者数 102万9841人
・本部所在地 東京都渋谷区
・崇拝対象 十界互具の曼陀羅、佛舎利
・経典 法華三部経、宮本孝平御遺珠、会主説法全集ほか

教団の沿革
 創始者の一人、宮本ミツは、1900年4月15日、石田安太郎とりよの三女として、千葉県九十九里町(当時の千葉県山武郡)にて生まれる。しかし生まれたものの間引きされそうになる。だが、生き残り産湯の代わりに井戸水をつかわされ、水を使ったことからミツの名付けられたという。ミツの父親は熱心な法華経の信者だったため、ミツも幼少時から法華経に接し、漢字も法華経の読誦で覚えたという。

 18歳の時、ミツは電気局に勤めていた宮本孝平と結婚。新婚生活は孝平の妹2人に弟1人が同居していたため貧乏で、ミツは着物縫いの内職をしていた。佛立講の信者だった孝平の勧めにより、ミツも毎日拍子木を叩き題目をとなえ、その熱心さは孝平を追い越していった。ミツが20歳の時、田舎の実家にて長女を出産した時、難産だったため4時間程生死の境を迷い、その時に霊界の体験をしたという。1926年には自転車屋を営むものの、雇った人の裏切りによって借金は増えて、貧しい生活は続いた。3年後にミツを病魔が襲い、33歳の時に入院。毎日題目を唱え、佛立講の寺院からの御講水を毎日飲んだものの良くならず翌年退院。そんな中、ミツの実兄だった石田平の勧めにより18年間続けてきた佛立講を捨て霊友会に入会。その時ミツは体は非常に痩せていて腹膜炎で腹部は膨らんでいた。ミツは朝昼晩とお経をあげて布教活動や水行などの修行を熱心に行なった。1936年暮れ、孝平を支部長とする支部が創立され、この支部は当時の霊友会の最大の支部となった。1945年には、ミツの膨らんでいた腹が平常に戻るが、孝平が胃を悪くし11月に他界。同年、宮本丈靖が長女の婿養子となった。ミツは、霊友会2代会長小谷喜美にいつも叱咤され、盗みの疑いをかけられて、数珠で打たれた事もあったという。

 1949年、霊友会にスキャンダルが起き、1950年10月12日に妙智會教団を開教。ミツが初代会長に就任した。1951年に結成された日蓮門下協議会の常任理事をミツは勤め、1952年に東京にて開かれた第二回世界仏教徒会議代表歓迎国民大会で、歓迎の辞を日本代表として述べた。同教団は、1953年に新日本宗教団体連合会に加盟した。
 1984年、宮本ミツが他界。1987年、宮本丈靖が二代会長に就任。

教団の教義・特色
 根本の教えは、「先祖供養」、「忍喜」、「懺悔」、「感謝」の四つであり、ことのほか「先祖供養」を重視する。他、「教行による人格完成に努力する」、「忍喜による世界平和に邁進する」と言う教団の綱領がある。

関連リンク
ありがとう基金
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